箱を描く秋

人は秋になると箱を描く。


まだ夏なので実感がないのだけども、秋の夜は長い。
長い夜に人はついつい長電話をしてしまうのだが、ここでは電話代がかかるとか、その時間をもっと有効に、とかは問題にしない。
人は秋になると箱を描く、ということにのみ絞って論じたい。


電話をしている時、僕は相手の話を聞いていないことが多くて、よく電話相手に「聞いてる?」とツッコまれる。
それもそのはずで、僕は電話を受ける時にメモ帳を開いてボールペンを持つ癖があって、電話をしている間中、メモ帳に何かよくわからない物体を描いているのだ。
これがまた殊の外楽しくて、意識と無意識の中間ぐらいの感覚で何かを描くという行為がひとつの娯楽であると感じる瞬間を体験できる。


で、何を描くのかというと、箱である。
こういった場面にきちんとした絵は似つかわしくない。
詳細な写実画や繊細な抽象画は、「世間話の電話中」という会話半分の状況で描くにはひどく難しいのだ。*1
電話中には四角形を描くのが正しい。
その四角形は、通話時間と比例して詳細になっていく。
通話時間が30分にもなると四角形には高さが加わり、立方体や直方体へと変貌を遂げる。
1時間にもなると陰影がついたりして、随分と立派な「箱」が出来上がる。
そして僕にとっては通話時間がその辺まで至ることはまずないのだが、2時間に差し掛かった頃には箱が積み上がってピラミッドもどきが誕生していたことがある。


これが人の絵や、犬や猫やペンギンといった動物の絵だったらどうだろう?
完成するまでに通話が終わってしまったり、逆に長引きすぎてそれなりの絵が完成してしまって、手持ち無沙汰になってしまったりするのだ。
前者はまだいい。どうせ描き終わったら何の気なしに破いてゴミ箱行きの絵である。
未完成でもどうということはないのだ。
しかし後者はどうであろう?
次の絵に取り掛かろうか、それとも完成したので眠いことにして通話を打ち切ろうか、ひどく迷うのである。
きちんと会話に参加せよというご指摘は尤もだが、中途半端は気持ちが悪いのである。
やはりここは箱がベストチョイスなのだ。


そういうわけで、人は秋になると箱を描くのである。

*1:そんなもの、描くことに集中している時でも描けやしないのだが