こんなにとれた

みくしーで書いた奴なんだけど、特に意味はなくこっちにもちょっと修正して載せときますね。


人は充実感を求める生き物だ。
人によっては「充実感を得る」のと「不快を避ける」のならば迷わず前者を選ぶほどに。


ゴキブリホイホイ、という製品がある。
説明するまでもないけれど、中に粘着テープがセットしてある厚紙の箱でゴキを捕獲する、例のあれ。
あれを部屋の隅に置いたりして、ゴキを獲る。
ゴキを捕まえたうえに、ゴキの姿を見ずに捨てることができる、まごうことなきスグレモノ。
「ゴキの姿を見なくていい」という素晴らしい機能があるにも関わらず、ある人は(僕なんだけど)よせばいいのにホイホイの箱を開いて中を見る。
本当、よせばいいのに。
それで、「うわー、キモっ」などと一声あげた後に、軽く満足げな顔でこう言うの。

「こんなにとれた」


耳掻き、という製品がある。
やっぱり説明するまでもないけれど、耳あかを取る、アレ。
竹や金属でできているものから、綿棒を使う人もいるけれど、とにかく耳あかを取る器具。
人は生きている以上耳あかが溜まる。
そいつを効率良く掻き出せる、やはりスグレモノ。
もうこれから書くことはバレてしまっているだろうけど、一応書いとく。
そう、耳掻きにも「こんなにとれた」がある。
耳あかをほじくる。
ある人は(僕じゃないよ)ごっそり取れた耳あかを、じっと眺める。
よせばいいのに、指先にちょこんと乗せてみたりして、意味もなく眺める。
本当、よせばいいのに。
そしてやっぱりこうつぶやく。

「こんなにとれた」


ともすると、「こんなにとれた」はどこにでも出現する。
それこそ勉強中の机の上や、東京ドームのマウンドや、晴海埠頭の隅っこにだって登場するかもしれない。
人はよせばいいのに、充実感を得るために敢えて不快を受け入れる。
そして特に何かあるわけでもなく、「こんなにとれた」と軽く満足げな顔をする。
満面の笑みじゃいけない。
「こんなにとれた」人は決して大きく顔を綻ばせては駄目。
それはもう「こんなにとれた」ではなく、他の何かです。


ひょっとして「こんなにとれた」にはそれだけの価値があるんじゃないのか。
何にせよ、魔物だと思う。
「こんなにとれた」という正体不明のかわいい奴は。