新聞を読んで、お父さんになりましょう

新聞は便利な小道具であります。


ベンチに座ってるおっさんが、何もせずにぼんやりしている姿はなんだか物悲しいもので、何かしら動作を加えたいのですが、ベンチに座ってバットを構えていても、フラメンコを踊っていても、なんだか間抜けに見えるのです。
別に何をやっていても構わないのですけど、座っているという状況において踊ったりスポーツをしたりという派手な動作は、ある種の馬鹿らしさがあるわけです。


これが「新聞を読む」だと実にしっくりきます。
座ってぼんやりしているだけでも、手に新聞があるだけで何かしら思慮をしているのではないかと納得させる雰囲気が、新聞にはあります。


ドラマや演劇においては、新聞はさらに場を固める強力な力を持つのではないでしょうか。
食卓で座っている誰だかわからない男も、新聞を持っていればお父さんになれます。
父という父が食卓で新聞を読むわけではないことは理解しつつも、観客は「お約束」による父の姿を新聞によって否が応にも認識させられるわけです。


そうか、世のお父さんになりたいと願う男性は皆、新聞を読めばいいのです!
内容などチェックする必要はないのです。
ただ新聞を持って思慮深げに、できれば見出しを読み上げましょう。
そしてこうつぶやくのです。


「大変な世の中になったものだなぁ。」


例え読み上げた記事が「不忍池カルガモの親子が行進」でもいいのです。
大変な世の中になりました。
お父さんはカルガモの行く末が心配です。
子供がいなくても貴方は「大変な世の中を心配するお父さん」になりました。


さぁ、眼鏡をかけて髪の毛を七三に分けましょう。
そして新聞を持って見出しを読み上げましょう。
立派なお父さんの誕生です。
エプロンをかけたお母さんが「ちょっとお父さん、新聞を読みながらご飯を食べないでくれませんか?」と、言いません。
ミニスカートの娘さんが「ちょっと、お父さんの下着と私の下着、一緒に洗濯しないでよ!」と、言いません。
それでも、貴方はお父さんです。
新聞のフォーマット勝ちです。


新聞は、便利な小道具であります。