戻ってこれた

半月以上ネットのない環境にいたのでPCの使い方を忘れてしまいそうにっ(えー
とりあえず最近のガジャ様とDr.ウォーム様は僕のツボど真ん中。
今の状態でショーケースの中にでも閉じ込めて、毎朝起きたら愛でていたいぐらいに。
GAROのゴンザ様とかもそうだけど、僕はいい感じのお爺様キャラが出ていると何でも許せてしまうっぽい。
というわけでカブトもボウケンジャーリュウケンドーも楽しくてしょうがないの。
でも休日は出勤なので全部録画なのです。がっくし。

こんなにとれた

みくしーで書いた奴なんだけど、特に意味はなくこっちにもちょっと修正して載せときますね。


人は充実感を求める生き物だ。
人によっては「充実感を得る」のと「不快を避ける」のならば迷わず前者を選ぶほどに。


ゴキブリホイホイ、という製品がある。
説明するまでもないけれど、中に粘着テープがセットしてある厚紙の箱でゴキを捕獲する、例のあれ。
あれを部屋の隅に置いたりして、ゴキを獲る。
ゴキを捕まえたうえに、ゴキの姿を見ずに捨てることができる、まごうことなきスグレモノ。
「ゴキの姿を見なくていい」という素晴らしい機能があるにも関わらず、ある人は(僕なんだけど)よせばいいのにホイホイの箱を開いて中を見る。
本当、よせばいいのに。
それで、「うわー、キモっ」などと一声あげた後に、軽く満足げな顔でこう言うの。

「こんなにとれた」


耳掻き、という製品がある。
やっぱり説明するまでもないけれど、耳あかを取る、アレ。
竹や金属でできているものから、綿棒を使う人もいるけれど、とにかく耳あかを取る器具。
人は生きている以上耳あかが溜まる。
そいつを効率良く掻き出せる、やはりスグレモノ。
もうこれから書くことはバレてしまっているだろうけど、一応書いとく。
そう、耳掻きにも「こんなにとれた」がある。
耳あかをほじくる。
ある人は(僕じゃないよ)ごっそり取れた耳あかを、じっと眺める。
よせばいいのに、指先にちょこんと乗せてみたりして、意味もなく眺める。
本当、よせばいいのに。
そしてやっぱりこうつぶやく。

「こんなにとれた」


ともすると、「こんなにとれた」はどこにでも出現する。
それこそ勉強中の机の上や、東京ドームのマウンドや、晴海埠頭の隅っこにだって登場するかもしれない。
人はよせばいいのに、充実感を得るために敢えて不快を受け入れる。
そして特に何かあるわけでもなく、「こんなにとれた」と軽く満足げな顔をする。
満面の笑みじゃいけない。
「こんなにとれた」人は決して大きく顔を綻ばせては駄目。
それはもう「こんなにとれた」ではなく、他の何かです。


ひょっとして「こんなにとれた」にはそれだけの価値があるんじゃないのか。
何にせよ、魔物だと思う。
「こんなにとれた」という正体不明のかわいい奴は。

王道

自分のやってることを「王道」と表現してる人って、自分のやってることを政治思想だと思ってるのか、それとも安易で安直だと自ら揶揄してるんだろうか。
どっちなんだろう。


どっちにしろ、言葉の意味を適当に使ってる人の道が、その人の言う「王道」には程遠い道だってことは確かだと思う。

問いの答えは問われる側に

問いの答えは、問われた側に委ねられるべきだと思う。
たとえそれが「わからない」という答えであっても。
答えが問う側の解釈に委ねられた問いは、本当の意味では問いじゃない。
だから、「貴方は嘘つきですか?」という問いはずるいんだ。
僕が「はい」と答えても、「いいえ」と答えても、僕の言ったことの真贋を見極める権利を持っているのは、問うた側なんだもの。
問われた側は弱いよ。
「信じられないなら聞くな」としか言いようがない。


「僕が『はい』と答えた場合、君は僕を嘘つきだと思う?」って聞き返すのは、大人気ないと思うし。
なにより吉良吉影様に怒られる。
質問を質問で返すなー!
だから、「貴方は嘘つきですか?」って聞かれたら僕はこう答えることにするよ。


最高に「ハイ!」って
やつだァァァァァァハハハハハハハハハハーッ

やまない雨が降っても別にかまわないけどな

「明けない夜はない」とか、「抜けないトンネルはない」とか、「やまない雨はない」とか言うけど、夜やトンネルや雨は悪者じゃないのにな。
散々恩恵だけ受けておきながら負の面をあげつらって揶揄する辺り、人間というのは賎しい動物だというのを自覚したいものです。