「何もない空間に吠える犬」考
僕は考え事をしていると、斜め上を見てしまう。
別に何があるわけでもないのに。
同じようなことをしている人もけっこういるんじゃないかと勝手に思ってる。
何かあるんだろうか。多分何もない。
あれは犬と似ているな、と思った。
世のわんこ達はときに、あらぬ方向をじっと見つめたり、何もない空間に向かって吠えたりしている。
あれはなんなんだろうと思っていたのだけど、きっと考え事をしているに違いない。
どんなこと考えてるんだろうね。
「今日のご飯はなんだろう」
多分ドッグフード。
「戦隊ものはなんで赤が一番強いんだろう」
燃えるからさっ。
リーダーは青だったり緑だったりすることもあるんだけどっ。
「Head Automaticaはなんであんなかっこいいのかな」
かっこいいから。
リフとか素敵。
「今日のご飯」が正しいとすると、ドッグフードばかり与えていると犬は考えなくなるんじゃないか。
「どうせ今日もまたシリアルだ」というある種の諦めをもって、朝食のメニューに思いをはせる子供のように。
「どうせまたドッグフードだ」と飽きられないように、品目を変えないといけない。
ドッグフードばかり与えていると犬は思考力が弱くなるのだから。
何もない空間に吠えてるのはほら、あれと一緒。
「夕陽に向かってバカヤロー」
「今日もまたドッグフードだバカヤロー!」
犬も大変だなぁ。
「どうせまたid:hereticの勝手な思い込み」というオチ。
魔弾戦記リュウケンドー・第31話
とても久しぶりに特撮の感想を書くよっ。
瀬戸山さんとレディ・ゴールドのフラグが立ったと勝手に思い込む。立っててほしい。
あのビンタは僕が受けたかった。
瀬戸山さんって話す時に力が入ると眼鏡がぴょこぴょこ上下しててかわいいや。
あけぼの署の河童が今回妙に気になった。Dr.ウォームの等身大パネルといい、あけぼの署は魅力的な職場だと思う。
最近白波さんがどんどん協力的になってきてて、逆になんか不憫に。
予告見た限りじゃ次回も不憫な役回りになりそう。
今回は眼鏡のおじさんが出てきた時点でもう簡単に察しがつくようなお話だったけど、話の流れがわかりやすくてオチがすぐ読めるのにこれだけ楽しめるのはすごいなぁ。
カブトみたいな虚々実々といった演出も楽しくていいけど、この手のシンプルさは捨てがたいかな。
今週のDr.ウォーム様:なんか「台の上に座るな!」が久々に感じました。頑張れウォーム様。負けるなウォーム様。
最後の「マダンキー欲しい〜!」の叫びには胸を打たれました。
なんかぼんやりED見てたら、照明助手さんで「泉谷しげる」って名前があってクスッっとしました。
新聞を読んで、お父さんになりましょう
新聞は便利な小道具であります。
ベンチに座ってるおっさんが、何もせずにぼんやりしている姿はなんだか物悲しいもので、何かしら動作を加えたいのですが、ベンチに座ってバットを構えていても、フラメンコを踊っていても、なんだか間抜けに見えるのです。
別に何をやっていても構わないのですけど、座っているという状況において踊ったりスポーツをしたりという派手な動作は、ある種の馬鹿らしさがあるわけです。
これが「新聞を読む」だと実にしっくりきます。
座ってぼんやりしているだけでも、手に新聞があるだけで何かしら思慮をしているのではないかと納得させる雰囲気が、新聞にはあります。
ドラマや演劇においては、新聞はさらに場を固める強力な力を持つのではないでしょうか。
食卓で座っている誰だかわからない男も、新聞を持っていればお父さんになれます。
父という父が食卓で新聞を読むわけではないことは理解しつつも、観客は「お約束」による父の姿を新聞によって否が応にも認識させられるわけです。
そうか、世のお父さんになりたいと願う男性は皆、新聞を読めばいいのです!
内容などチェックする必要はないのです。
ただ新聞を持って思慮深げに、できれば見出しを読み上げましょう。
そしてこうつぶやくのです。
「大変な世の中になったものだなぁ。」
例え読み上げた記事が「不忍池でカルガモの親子が行進」でもいいのです。
大変な世の中になりました。
お父さんはカルガモの行く末が心配です。
子供がいなくても貴方は「大変な世の中を心配するお父さん」になりました。
さぁ、眼鏡をかけて髪の毛を七三に分けましょう。
そして新聞を持って見出しを読み上げましょう。
立派なお父さんの誕生です。
エプロンをかけたお母さんが「ちょっとお父さん、新聞を読みながらご飯を食べないでくれませんか?」と、言いません。
ミニスカートの娘さんが「ちょっと、お父さんの下着と私の下着、一緒に洗濯しないでよ!」と、言いません。
それでも、貴方はお父さんです。
新聞のフォーマット勝ちです。
新聞は、便利な小道具であります。
受け入れろ
先生「自分というものを受け入れることが大切なのです。」
生徒「受け入れられません。」
先生「なぜかね?」
生徒「自分は情けない人間なので、情けない自分を受け入れたくないし、受け入れ側の自分も情けないので受け入れ切れないと思うのです。」
先生「では『情けない自分を受け入れたくないし、受け入れ切れないと思う自分』を受け入れなさい。」
生徒「そうしたいのはやまやまなんですが、受け入れられないものは受け入れられないのです。」
先生「ならば、『受け入れられないものは受け入れられない自分』を受け入れなさい。」
生徒「う〜ん…やってみます。」
半日後
先生「どうだね?受け入れられたかね?」
生徒「やはり無理でした…。」
先生「では『やはり無理だった自分』を受け入れたまえ。」
生徒「一体どうすればよいというのですか?」
先生「どうすればいいかわからないかね?ならば『どうすればいいかわからない自分』を受け入れたまえ。おのずと答えは見つかろう。」
30年後
先生「いい加減に受け入れたまえ。」
生徒「できないものはできません。」
先生「ならば『できないものはできないと考える自分』を受け入れたまえ。」
先生が死ぬ間際
先生「私の最後の願いだ。自分を受け入れたまえ。」
生徒「先生の最後のお願いです。そうしたいのはやまやまなのですが、どうしてもできないのです。」
先生「ならば死ねないではないか!さぁ、『そうしたいのはやまやまだが、どうしてもできない自分』を受け入れたまえ!」